HITOJII ZAKKI & MONOLOG

「HITOJII ZAKKI & MONOLOG」は日々ストーリーのあるモノとの暮らしを楽しむヒトジイが、これまで買ってよかったモノを雑記とともに紹介するブログです。

親が咽頭がんになったので会社を辞めました!

ある日弟から遠距離に住んでいる父親が倒れたとメールが来ました。

2017年の2月に実家で独り暮らしをしている自分の父が、家の室内で倒れている所を回覧板を持ってきた隣人に発見されました。

幸いにも父の意識はあり、病院に搬送されてしばらく入院する事になりました。父は数年前に脳出血を発症しているので、もしかして2度目の発症なのかとこの時思いました。でも、弟からのメールで脳出血以外の病気にかかっている事がわかりました。

この頃の自分は、県外で働いているためすぐには病院に行けない状況です。

 

〈以下弟からのメール全文〉

※○○は実名なので伏せます。

父のこと、病院から電話来て、どうやら、喉と足の指と泌尿が悪いらしい。

左足の指は、もう血が通ってないから、切断しなきゃない話はしたと思うけど、喉は正月行った時も悪かった気もしたから、なんとなくわかるけど、泌尿のは、水分不足とかお酒とかで、不全なのだと思う。入院の時に、言っただけで、詳しくは知らない。

父に病院の人が、喉や泌尿の検査とか治療を尋ねてるみたいだけど、父は拒否してるらしい。でも泌尿だけは、治さないと、近い将来、食べる事も出来なくなるよっと、お医者さんが父に言ったようなんだけど、父は、将来長く生きれないとしてもいいって、了承してるようなことを言ってるんだって。明後日の土曜に病院に行って、父の判断に対し、家族がどうするか、聞きたいとのこと。延命の為の治療か、父の長く生きなくても良いという意思を尊重するかを。

今回、父がどんな気持ちで了承しているのか、身近にいた俺でも正直分からないけど、今回倒れてるのを近所の人に発見された時、父は、孤独で死を覚悟して、動けずにもしくは、動かず、助けを求めずに、自分のおかれた昨今の立場を理解していたのだと思う。
父は散々自由に生き、お酒やタバコを吸い、分からず屋で、兄弟とも仲良くいれずの、人生。

俺は、そんな風に生きて来たツケを清算するべきだとも思った。近年、面倒をみてきたおれは本当に本当に苦悩した。なんで、俺がこんなに、婆さんの時もだし、父さんが脳出血で入院した時も連れ歩いたり、会社を休んだり、病院で先生と会ったり、とてもとても辛かった。

父の生命とこれまでの父の所業やおれの昨今の苦労を差し引いても、延命になる治療を家族はどう思うと、先生に言われても、延命治療をしてとは思えない。

電話は今できないから、メールでいいから意見待ってるよ。明後日、土曜には病院に話をしにいくよ。

まだ少しは元気だよ。
ただ、泌尿の治療をしないと、将来、食べたりが出来なくなるような話であったよ。

○○にも詳しくは話してないよ。
ただ、ショートに移る時は、その方向でショート移ることは言わないとないね。

ショートにうつるまえに、家族の治療方針を聞かないと、病院からショートにうつれないらしい。

もう一つ考えないとないのが、お金だよ。
田んぼとか、畑の管理の土地改良区から電話もあってね。

田んぼとか畑を使わなくても、年間25万くらいかかるらしい。

で、28年度分が未納らしい。27年度のは払ってるみたいだけどね。

だから、畑とか田んぼとかは土地改良区の人に農業委員会にも話をしてもらいながら売ることにしたからね。ここは、兄さんも同意してもらえるかな?

まだ返事兄さんから何もないけど。意見とか言ってな。母と兄さんの2人に同じのメールしてるからね。 

 

怒り・憎しみ・恨み

今回ブログを始めるにあたり、弟からのメールを久しぶりに読みました。その頃の事を思い出すとほんと辛くなります。

父が病院に搬送された日に弟から送信されたメールは、自分の他に父と離婚した母の二人にだけ送信されました。自分が仕事を辞め一時的に帰るまでの間、自分と母には同じ内容のメールが同時に送信されています。

母は自分が20歳前後に離婚しているので、同じ県内に住んでいる弟が一番頼りにされてきました。祖父母が亡くなった時も、脳出血の後遺症で右半身麻痺になってしまった父の代わりに喪主代行を務めました。本来ならば長男である自分が喪主代行を務めるべきだとは思うんですが、県外に住んでいる事を良いことにすべての責任から逃げて弟に頼りきりでした。

自分はこれまでに転職を何度もしているし、せっかく就いた会社もすぐに退社してしまうなど、いつまでも地に足のつかない状態が自分自身の負い目となって自然と実家から足が遠のいていました。

そんな折に、弟から送信されたメールの内容には父に対する長年の怒り・憎しみ・恨みがありありと伝わってくる内容でほんと涙が出てきます。

父が病院に搬送されてから数日後に、弟から来たメールを読んで決意しました。

 

〈以下弟からのメール全文〉

病院では、想定通り、本人検査や治療を断っててね。家族はそれでいいですか?って話であったよ。
その確認がないと、ショートステイへの転院が出来ないとのことだったよ。

それで病状は、股関節あたりに腫瘍があって、検査できてないけど、悪性の可能性があるとのこと。癌の可能性もあるとのことで、いずれにしても、取り除いたり、薬とかで治療しないと、ご飯とか食べれない状態になるとのこと。

喉もおそらく悪性の可能性あるようでね。でも調べれてないから、本人拒否してるから確実なことはわからないとのこと。

それで、本人にあったよ。
知らないふりして、なんとだ?って聞いたら、もう大丈夫なようなことを本人は言っていたけど、おそらく、ほんとに俺の想像だけど、おそらく、家に帰って、お酒とかタバコを吸いたいのかなと感じた。
なぜなら、お金欲しいと言われてね。なんに使うの?って聞いても答えなかったけど、お酒とかタバコを買いたいんじゃないかなと、今思えばそう思う。
病院にいた時は、おれも、雑誌もないし、暇だべなって思って、少しお金欲しいのかなとも思って、千円渡したよ。でもね、千円出した時、すぐに、エーッみたいな声出してさ、少ないと思ったんだろうね、すぐにだよ。エーッて、声にならない声で。
おれは、なんだこの人はって思った。足りないのかと。それに、なんで、5千円も一万円も渡さなきゃないのかと。思った。だから、俺は言ったよ。足りないなら、千円も渡さないよって。俺は、雑誌とか何かを看護師さんに頼んで買ってもらうのかなとか思ったし、暇で大変だべなと思ったし、渡そうと思ったけど、エレベーターで帰る時、もしや、タバコとかお酒を買うつもりなのか?とかほんとに思った。
おばあさんのお葬式とか終わった時も、早く家に帰ってタバコとかお酒とか吸いたくなる人だったし。呆れてた。その時は。
だから、今日もお金はそうだとしたら、呆れてしまうけど、事実はわからないけどね。
今日本人にあったら、よぐオレを見つけたなって言っててね。
病院から、おれに電話きたり、家族に電話いくこと、とかも考えれないんだろうね。おれは、電話きたりするの、かなり迷惑なのわかってもないんだろうね。
あと、父さんおれに、自分、父自分ね。帰ろうと思ってるって言っててね、自分の足とかなんにもわからないんだろうね。右足は指全部、左足は足首まで、血が通ってないらしいし、切断だろうって、先生が父に会う前に言ってたことだけどね。

それで、なんで、足がこうなってるかというと、またメールするね。

股関節なところに、腫瘍があって、それが膀胱とかあっぱくしたり、下半身への血流悪くしてるようで、足に血が回ってないんだと思う。
足の切断の前に、泌尿の治療しないと、ご飯も食べれなくなり、血圧低下とかおきて、意識障害とかで、死に至る可能性もあるとのこと。

検査できてないからなんとも言えないと先生も言ってたけどね。
でもおそらくそうだと思う。

でも本人はなんも思ってなさそう。
もしや、お酒とかタバコを吸いたいと思いが強く思考が鈍ってるのか、痴呆とか、頭のこともあったりで、考える能力が鈍ってるせいなのかと思うところもあり、本人を一方的に責めることはおれはしないけど、今日会っても、なんとかしてあげたいとは思わなかったよ。

困ったものだよほんと。
土地改良区で、田畑が早く売れて欲しいと思う。ほんと。

田畑売れるのをなんとか、ならないものだろうか?買取の人なんとか見つからないかな?母さんなんか良い案ないかな?

 

〈数日後に弟から送信されてきたメール全文〉

※○○は実名のため伏せます。

遅くなりましたが、火曜に、○○の病院から転院の件で電話ありました。

先週の土曜に容態を聞きに病院に行った話はしましたが、その際に、家族に説明できましたので転院を進めますとのことで、明日、転院の手続き支払いと、ショートステイの入居の手続きに、明日仕事休んで行ってきます。

後、懸念してる、トラクターやトラックを売ってしまうことも考えてて、その写真を撮ることや撮った後に見積もりをもらうこと、そして、明日は土地改良区との面談、その後に役場で農業委員会の人と面談を予定しています。
本当にこの忙しい時に、仕事休んで行くしかありません。

そして、再来週は、転院先のショートステイから、○○○にある○○病院に、診察に行かなければならないはずで、また休まなければならないかもしれません。本当に困っています。
○○とかは、おそらく頼りにはなりません。明日転院することは伝えようと思います。

それで、兄さんに相談ですが、来月か再来月か分からないけど、父の足の手術の時、手術の立会いをお願いします。
なるべく、兄さんの休みの日に合わせるよう病院には、話すのでこれはお願いします。
おれは、転勤も決まり土日も遊ばず休まず、動き回り、引越しの準備もしなければならないし、引越し先に行ってからもまだまだ大変です。

おれ今回の件で、4日も5日も休みを取ってて、いつ父の容態がわるくなるか分からないし、もう生きてて、会えないかもしれない。なので、手術の時だけは本当にお願いします。
それで、父さんが転院予定の場所は○○○駅からも近く、手術の場所も、○○病院で、○○○駅からもショートの施設からもとても近い場所だから。

母も、兄さんが、移動に難儀の場合車の足とかお願いしたい。

おれは、明日も、仕事を投げて、一人で行ってきます。山にも行って、小屋をあけて、トラクターの写真も撮って、ペットボトルに父が入れた、尿も汚いから、外に捨てて、役場からきた封筒もみて、対応して、おれ、父が亡くなるまでは、本当に苦労しかありません。おれを助けてください。

手術の時は立会いしなくてもいいように、お医者にお願いしますが、もし必要な時は、兄さんお願いします。

日程はわからないけど、足が悪くなって血が通ってきてないから、そんなに待てないかもしれない。

平日俺が、休んで行かなきゃない日に、かわりにきてもらわないと、俺本当に困る。

ただ、土日にきても、俺、平日休まなきゃないのは何も変わらない。

平日来た日ぶん、父の財産残ったら、交通費は多めに出すから、そこ理解してほしい。

ほんとうに今の状況勘弁してほしい。

テレビで介護疲れとか、家族がどんどん追い詰められて、殺してしまいたくなる気持ちよくわかる。俺が平日休んで行かなきゃない日、金曜にお願いするから、金曜休んで、土日母さん所に泊まって来る感じで、母さんも金曜休んで、車に乗せてあげて、対応して。

 

病名は「下咽頭がん」

父が病院に搬送されて一ヶ月が経ち、病院での検査でわかった病名は「下咽頭がん」というものでした。その他、股関節あたりの腫瘍が原因で血流が悪くなって発症した足先の壊死。

2017年3月の時点では下咽頭がんよりも先に足先の壊死の切断が先との事で、父も医師から説明を受けたようですが父は絶対に切断はしたくないとの事。

父の言動を長年間近で見ている弟からすれば、父のそのような態度には相当呆れたはずです。

だからこそ、自分にはもう限界なんだとこれ以上仕事や家庭(弟は結婚しています)に迷惑をかけないでくれという弟の意思をメールを読んで感じました。

 

派遣会社と派遣社員

なぜ一刻も早く父や弟のために動かなかったのか?

自分が仕事を辞めたのは2017年3月末で、父が病院に搬送されてから約2ヶ月経過しています。県外で製造業でしかも夜勤専属の派遣社員で働いていたためと言えば、逃避だと批判されるかもしれません。でも、当時の自分は平日が仕事で土日が休みという勤務形態なため、土日に帰るより平日に帰ってきてほしいという弟の要望に応えたくても応えられない状況でした。

さらに付け加えると製造業派遣特有のブラックというか、会社がブラックだから働いている人間もブラックになるのか、一部の人間がブラックだから一部の部署がブラックになるのかはよくわかりませんが、とにかくやる気のある人間が報われない職場だったと思います。

自分はこれまで製造業以外にも、印刷会社や建設コンサルタント等の会社で正規、非正規待遇関係なく働いてきました。もちろん、製造業派遣も何社か経験しています。

その過去の経歴の中でも、2017年の3月末まで勤めた会社(派遣元と派遣先)はブラックの度合いがかなり高かったと思っています。

やる気のある人間に仕事が集中したり、楽をしたいがために出来ないふりをするなどといった手抜き仕事。

長く勤めている事と陰口や根回し以外に取り柄がなく、向上心の欠片もない人間。そのような環境で仕事をしている以上、極力平和で穏便に日々を過ごしていきたいと思っていました。

自分の派遣会社(地場派遣)と他社(UTエイム、日研等々)の時給を比べると200~300円違う事もあるので、尚更やる気が起きなくなるのかもしれませんね。

以前働いていた別の派遣会社の部長から聞いた事は、派遣先企業の業績悪化などで派遣切りが行われる際は真っ先に全国展開してる派遣会社から切られるよと説明されました。

作業内容と就労時間が同じなのに給料が5万円以上も違うとさすがに考えてしまいますよね。

そのような環境と待遇のもと、派遣社員を続ける事が出来た一番の理由は、歩いて20分くらいの距離に派遣先の企業があったから! これ以外の理由は見つかりません。電車で往復2時間かけて通勤していた頃に比べたら通勤ストレスは皆無です。

自分の父が病院に搬送されず入院する事もなく、今も元気だったなら今でも派遣社員として働き続けていたと思います。

 

ブラックな会社でブラックな人間と働くのは大変!?

弟から送信されてくるメールを読んで辞める事を決意し、派遣会社に3月末で辞めると伝えてからも一悶着ありました。自分が辞めると他の誰かがその工程を担当しなければならないので、楽して仕事をしたい人間にとっては死活問題なのです。

自分は元々別の工程を担当していたのですが、やる気と実績を認められやる気のない人間に変わって、誰しもがやりたがらない工程の担当になりました。

自分のいた現場はラインを組んでいたので、やる気のない人間が一人いると生産数に影響を与えます。そのため、やる気のある人間はやる気のある人間を好むので、自分が会社を辞めると知ると自分も辞めると急に言い出したのです。もちろん、自分が担当する前にその工程を担当していた人も、もう二度とその工程をやりたくないから辞めると言い出しました。最近ネットで目にする「会社は学校じゃねぇんだよ」、ほんとその通りだと思います。

最終的には派遣会社の社長と面談して、父の病気の事や実家の状況等を話して退社する事になりました。

退社して数ヵ月後にハローワークで検索をかけたら、自分がいた頃より若干待遇を良くして今も派遣社員を募集しているようです。

 

親が咽頭がんになったので会社を辞めました。

2017年の4月から父の病気や実家の諸問題に対応するべく2017年3月で会社を辞めました。

勢いで会社を辞めてからはや1年、そろそろ経済的に困難になりつつあるので再度製造派遣にもどる日も近いです……。

このまま、無職を続けるにせよやめるにせよ、会社を辞めてから1年と少しの間に起きた事や経験した事は、自分の人生にかなり大きな影響を与えました。

もう既にうろ覚えな所もありますが、覚えているうちにブログにまとめていきたいと思います。